東京地方裁判所 昭和42年(ワ)4356号 判決 1968年4月11日
原告
姜判金
被告
石川保
主文
1 被告は、原告に対し金二六万円およびこれに対する昭和四一年一二月一二日から右支払ずみに、至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は四分し、その三を被告の、その余を原告の負担とする。
4 この判決は原告勝訴部分にかぎり、かりに執行することができる。
事実
第一、当事者の求める裁判
一、原告訴訟代理人は「1.被告は原告に対し金三二万九八二〇円およびこれに対する昭和四一年一二月一二日から右支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。2.訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を、求めた。
二、被告訴訟代理人は「1.原告の請求を棄却する。2.訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求めた。
第二、原告の請求原因、
一、昭和四一年一二月一一日午後零時三〇分ころ、東京都江戸川区東船堀町一二六〇番地先交差点において、被告の被用者訴外高柳保はその運転する貨物自動車足四や五九九七号(以下被告車という)を訴外青木幸一の運転する原告所有の乗用自動車足五な五〇一七号(以下原告車という)に衝突させ、原告車に三二万九八二〇円の修理費を要する損傷を与え、原告は同額の損害を受けた。
二、右事故は被告車を運転していた高柳保が右交差点に入るに際し、左方から同交差点に入ろうとしていた原告車を左斜前方約二八米のところに認めたが、その前を左折できるものと即断し、その動静を注意する義務を怠り、漫然発進して左折にかかつた過失により発生したものである。
ところで高柳保は被告の業務執行として被告車を運転していたものであるから、被告は高柳保の使用者として原告の受けた損害を賠償しなければならない。
三、よつて原告は、被告に対し右金三二万九八二〇円およびこれに対する事故発生の日の翌日である昭和四一年一二月一二日から右支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三、被告の答弁
一、請求原因第一項の事実中損害額は争う。その余の事実は認める。
二、同第二項中、高柳保が被告の被用者でありその業務執行中本件事故をおこしたこと、および高柳保に過失があつたことは認める。
第四、被告の抗弁
高柳保は交差点手前で一旦停車し、発進左折する際、原告車と被告車との距離は二八米あつたが、その後衝突地点まで原告車は二五・六一走つているのに被告車は僅か三・四米しか進んでおらず、このことからしても被告車が停車中のところを原告車がぶつかつてきたものでもあり原告車の運転手の青木幸一に過失があつたことは明らかである。
右青木の過失を損害賠償額の算定にあたつてしんしやくされるべきである。
第五、右に対する原告の答弁
青木幸一に過失があつたことは否認する。
第六、証拠 〔略〕
理由
一、請求原因第一項の事実(事故の発生と原告車の損傷)は損害額を除き、当事者間に争いがない。
〔証拠略〕によると、事故後の昭和四二年二月に原告車の修理見積を葛飾プリンス自動車株式会社でして貰つたところ、修理代一二万三一〇〇円、写真代三〇〇円、修理部品代二〇万六四二〇円合計三二万九八二〇円との見積をうけたことが認められる。
他方〔証拠略〕によると自動車損害鑑定人の訴外佐藤光義は被告側からの依頼により、修理見積書(甲第一号証)および写真(甲第二号証の一ないし八)を検討し、その修理見積として修理代九万四九〇〇円、写真代三〇〇円、修理部品代二〇万八二〇円合計二九万六〇二〇円あるいはそれ以下になるのではないかとの意見を出していることが認められるが、しかしこれは原告車を実際に見て作成されたものではないことを考えると、原告車の修理費としては少くとも修理部品代二〇万六四二〇円、修理代一二万九〇〇円(原告主張の金額からフロントフエンダー左脱着右交換で一〇〇円、同サイドパネル右交換で五〇〇円、フロントウインドガラス脱着で六〇〇円、ステアリングシステム廻り点検で五〇〇円ウオータポンプ点検で五〇〇円、の合計二二〇〇円を乙第三号証の数値を参考に減額修正したもの)以下合計三二万七三二〇円を必要とすると認められる。写真代は修理に必要なものと認める証拠はないので計上しない。
そうすると、原告車の損害は三二万七三二〇円と認定すべく、右認定を左右する証拠はない。
二、請求原因第二項の事実中、高柳保が被告の被用者であり、その業務執行中に本件事故が惹起されたものであること、および高柳保に過失があつたことは当事者間に争いがない。そうすると、被告は原告に対し本件事故による原告車の損害を賠償する責任がある。
三、原告車の運転手である青木幸一に過失があつたかどうかを判断する。〔証拠略〕を考え合わせると本件交差点は、陳屋橋方面から西之江に向う幅員七米の道路(以下甲路という)と一之江方面から船堀街道方面に通ずる幅員六米の道路(以下乙路という)の交差点であり、その見とおしはたがいに良くない交通整理の行なわれていないこと被告車の運転手である高柳保は一之江方面から本件交差点に入り陳屋橋方面に左折せんとし、まず交差点に入る前に一時停止して安全確認をしたところ、陳屋橋方面から本件交差点に入らんとする原告車を約二八米のところに発見したが、原告車の前を左折しおえるものと思つて左折に入つたことしかるに原告車の接近により危険を感じブレーキをかけ、道路中央部をややこえたところで停止したこと、青木幸一は甲路を陳屋橋方面から西一之江方面に向け車の右側が道路中央にすれすれのところを時速約四五粁の速度で原告車を運転して来て交差点の左方道路で一時停止中の原告車を約一五米先に発見したがそのまま停止しているものと考えそのまま進行し被告車が左折進行しはじめたので急拠ブレーキをかけたがその瞬間甲路の中央部付近で原告車の右ライト付近が被告車の前部中央部と衝突するに至つたこと。なお乙路には一時停止の標識のあること原告車の車幅は約一・四米であることが認められる。
証人高柳の証言中右認定に反する部分は措信しない。なお、甲第三号証の三および証人青木幸一の証言中には一五米のところで一時停止車中の被告車を発見し、その後対向車とすれ違いその次に被告車と衝突したとする部分があるが証人高柳保の証言と対比すると措信し難く対向車の存在を認めえない。
右事実によれば、本件事故は高柳保が原告車の進行を妨げることなく左折しうるものと誤信して左折した過失によることは明白であるが、青木幸一においても優先順位にある車とはいえ交通整理の行なわれていない見とおしの悪い交差点に入るに当つては徐行して進行すべきであり減速して進行すれば衝突前に停止もしくはさらに左に寄ることにより衝突をさけえたのにこれを怠つて漫然四五粁の速度で進行した過失があり、これも本件事故の一因となつていることは否定できないところである。
ところで〔証拠略〕によると、青木幸一は原告の息子の訴外原田京薫の経営する訴外会社に雇われている者であるが、原田京薫に命ぜられて訴外会社の社用で原告車を運転していたものであることが認められるのであつて、青木達は原告に雇われているものではないとしても右関係からして同人の過失を被害者側の過失として過失相殺するを相当とする。その過失の割合は被告車が衝突直前に停止したにせよ、その通行の優先順位からして原告車二、被告車八である。
そうすると、損害賠償額は第二項で認定した損害額三二万七三二〇円の約八割である二六万円が相当である。
四、以上によると、原告の本訴請求は被告に対し金二六万円およびこれに対する損害発生の日の翌日である昭和四一年一二月一二日から右支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条第九二条を、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 浅田潤一)